未来の価値 第54話


もう、真夜中と言っていい時間だった。
皇族の居住区の周辺は厳重な警備がされており、人どころかネズミ一匹入り込むのは不可能だとされている。だが、今この場所に、皇位継承権第5位、第17皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの寝室に、招かざる客が尋ねてきた。
いかに人外な存在でも人間であることに変わりは無く、あれだけの警備網を縫ってここまで来る事は不可能と言っていいだろう。不可能だが、この男はそれを可能とし、ここまで来てしまった。
カツリ、カツリと聞こえる靴音が、まるで地獄から来た悪魔の足音のように聞こえてた。ベッドライトが僅かに灯っているだけの暗い部屋なので表情は解らないが、何故だろう、その暗い影に恐怖を感じ、非常に心臓に悪い。それは純粋な恐怖だった。
これは、目の前の人物に対して後ろめたい思いがあるからなのか、それともその声が、今まで聞いた事がないほど低く冷たい声だからか。
自ら魔女と名乗るC.C.でさえ、予想外の出来事に思わず思考を停止させ、ルルーシュの背中に縋るように隠れていた。
一つのベッドの上で、男女が寄り添っているすぐ傍までその人物はやってきた。ベッドライトの明かりは、ようやく侵入者の顔に届き、その顔を照らし出す。

「・・・すざ、く?」

思わず疑問形で呼んでしまうほど、スザクの表情は険しかった。
いつもの、向日葵のような笑顔など無く、むしろこの顔で笑顔を浮かべられるのか?と疑問視をしてしまうほど冷たい表情は、いつもは童顔で幼く見える男の顔を、全く別の存在に見せていた。

「ルルーシュ、君、何してるの?」

冷たく重い声。
見下ろす瞳は、怒りと憎しみに歪み、冷たい光をたたえていた。

「・・・横になっているが・・・?」

それ以外に答えようがない。後ろからしがみついているC.C.がいるから体を起こせないから、現在進行形でベッドに寝ていた。
少し前に体を横たえ、後数分で眠りに就く予定だった。

「そんな事、見ればわかる」

問題は、ベッドの上で男女二人が寝ているという状況の話をしているのであって、現在横になっているかどうかの話など聞いていない。
不愉快気に、スザクは目を細め睨みつけた。

「なら何を聞いているんだ」

横になり、寝ようとしている。
それ以外に何をどう答えればいいのだろう?
寝る前に本を読もうか迷い、ベッドサイドのテーブルに置いているが、それには触れてさえいないし、あとは・・・わからない。

「何を?解らないとか言わないでよ?」

心の声を呼んだようなタイミングで言われ、やはり何かが、気付いていない何かがあるのだと思考を巡らせるが・・・思い当たる事は何一つなかった。

「おい、枢木。私は、添い寝をしているだけだぞ?どこぞの皇女に見初められた誰かの代わりにな?」

この男が何を想像し、何に怒っているのか。滲みだす嫉妬と、裏切られたという感情に、ああ、そういう事かと即座に理解したC.C.は平然と答えた。
なにせそれが事実だし、スザクが思い描いたようなあれやこれなどしていない。
C.C.は体を起こしながら呆れた視線をスザクに向けた。

「添い寝だけ?」
「だけってなんだ?」

それ以外に何があるんだ?と、本気で解らないという顔で尋ねられ、解らないはず無いだろう、馬鹿にしているのか?とスザクはますます眉を寄せた。

「こいつはな、おまえと私がベッドの上で大運動会をしていたと思っているんだよ」

体を起こしたルルーシュの首に両腕を絡め、C.C.は耳元で囁くように言った。それは完全にスザクに対する挑発で、予想通りますます険しい顔でこちらを睨みつけてきた。
殺意すら感じるその顔を見てC.C.は鼻で笑った。
大体、たった今ベッドに入った所だ。
もしやるとしたらこの後だろうし、そんな予定は今のところなかった。それでなくても体力が尽きかけているルルーシュ相手に、何かするつもりも無く、「起こしてやるから、時間までゆっくり休め」とまで言って布団に入ったのだ。

「やっていないと?」
「やった後に見えるか?」

この、ベッドが。
人が寝たことで皺にはなっているが、それ以外は綺麗なものだろうに。
なあルルーシュ?と言おうとしたが、ルルーシュは不思議そうな顔でC.C.を見ていた。

「大運動会?お前、何を言っているんだ?体を動かしたいなら、俺の安眠妨害にならない所でやれ。ベッドの上で遊ぶな。スザク、お前もだ。確かにこのベッドは広いが、ベッドは寝具であって運動する場所ではない!」

ルルーシュの言葉に、スザクは「あっ」と声をあげた後、みるみると表情を変えていった。先ほどの恐ろしい顔は何処へやら、今度は捨てられた子犬のように見える庇護欲をそそる顔だ。ルルーシュの頓珍漢な反応で、ようやく白か黒か気付いたのだ。
つい怒鳴ってしまったルルーシュは、スザクがしょんぼりしてしまったので、しまった、怒り過ぎたと慌てていた。
騙されるな馬鹿。この男、見かけによらず曲者だとC.C.は眉を寄せた。

「それで、お前はどうしてここにいるんだ?いや、むしろどうやってここに来た」

皇族の居住エリアは厳重な警備がされている。
いくらルルーシュと親しいスザクとはいえ、こんな夜中にこの場所に立ち入ることなど不可能で、必ず警備につかまるはずだ。監視カメラだって設置されているのだから、それを監視している警備も動くはずなのに、今だ辺りは静まり返ったままだった。
その答えはただ一つ。
枢木スザクは、全ての警備の目をかいくぐり、誰にも気付かれることなくこの場所までやって来たという事だ。
異常と言っていいほどの身体能力を持つ男だが、そんな事まで可能なのか?いや、あり得ないだろう、一体どうやって・・・と、ルルーシュは真剣な表情でスザクに尋ねた。

「え?この部屋のセキュリティなら、君がくれたカードで」
「いや、この部屋の事ではない。ここに来るまでの話だ」

あの後も忙しくて、スザクのデータを残したままだった事に、この時ルルーシュは初めて気づいた。だが、それは結果として良かったと言える。もし、全て削除していたら、スザクがカードを使用した時点で警報が鳴っていただろう。
スザクはもう、ユーフェミアの騎士となるのだ。
ルルーシュの私室のカギを所持しているのは問題だから、スザクからカードを返してもらい、指紋などの生態データも全て削除しなければ。

「それなら、簡単だったよ?」
「は?簡単だと!?」
「ほう?」

あっさり言い切ったスザクに、ルルーシュは驚きの声をあげ、C.C.は面白そうな話だと興味を抱いた。簡単だったという事は、ここの警備は鉄壁だと自負していたルルーシュが気付いていない何かがあり、それをスザクは見破り、利用したということになる。
この男、もしかしたらものすごく才能に溢れているのかもしれない。
だが、スザクの出した回答は、もっと単純明快なものだった。

「前にルルーシュが用意していたルート使ったからね」
「前に、俺が用意したルート?」
「なんだそれは?」

スザクの出した答えに二人は首を傾げ、その反応にスザクは目を丸くした。
まるであり得ないモノを見たような、そんな顔だった。

「待ってルルーシュ大丈夫!?きみが用意したルートじゃないか!忘れたの??ルルーシュが??」

信じられない、あり得ない、頭寝てない?それとも、冗談で言ってるの!?と、スザクは言うが、当のルルーシュは全く解らないと言いたげに首を傾げていた。

「ナナリーの所に行く時に使ったルート!出る時用と引き返す時用と、この時間帯で用意してただろ!?」
「あ」

ようやく大量の情報が詰まった脳みそからその情報を引っ張り出せたらしいルルーシュは、思わず小さな声をあげ、ああ、あれかと、口にした。

「用意してたのか」
「ああ、俺たちが誰にも気付かれないように警備に穴が開くように調整したんだ。万が一抜け出すことに失敗した時のために、戻るためのルートも確保していた」

実際には使われることのなかったルートだ。
警備員の配置や交代時間、各種監視カメラの配置とその動き。センサーの場所と、そのセンサーが一時的に無効となる時間の設定などなど。

「流石ルルーシュだよね。このルートも問題なく使用で来たよ」

悪びれることなくスザクは笑顔で言った。

「・・・お前、よく覚えていたな」
「君、僕を馬鹿にしてない?」

確かに物を覚える事は苦手だが、体を使う事となれば話は別だ。でなければランスロットを操縦などできはしない。自分が歩くルートと障害となる物、目印をあの時何度も頭の中でシミュレートし、その後はこの政庁に来るたびにその場所を意識してきた。実際に使用するのは初めてだが、思い描いた内容と寸分違わない動きが出来た。
そう、スザクは自分の体を使うことに直結している事ならすぐに覚えるのだ。だが、スザク=馬鹿というイメージが強いため、そこを完全に失念していた。その上、そのルートも何かあった時に仕えると残したままにしていたのだ。

「成程な、枢木スザクがとてつもない才能を持っていたわけではなく、ルルーシュ、お前がドジを踏んだという事か」

つまらない結果だなとC.C.は呆れたように言った。
ルルーシュは非常に頭がよく、あらゆる問題にも瞬時に対応できるよういくつものルートを想定しているが、まれにこうやってドジを踏む事がある。これが命取りにならなければいいが。「別に、ルートを処理し忘れたわけではないし、スザクがそのルートを使用する事は想定していなかっただけだ!俺がドジなわけではない!」と延々と言い訳をする男の顔を冷めた視線で眺めていた。

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